Chung Chang-Sup - 丁昌燮 (チョン チャンソプ) について

f:id:shotarou2380:20180802075352j:plain

Chung Chang-Sup   ー 丁昌燮 (チョン チャンソプ) について

1927年 韓国忠清北道生まれ
1946年 ソウル大学校美術大学絵画科入学
1951年 ソウル大学校*1美術大学絵画科卒業。
*1第二次世界大戦終戦アメリカ軍政庁によって
当時韓国にあった9つの専門学校を統合して開設された学校(1946年10月15日開校)
1961年 - 1993年 ソウル大学校にて製作と並行して教員として勤務
1993年 ソウル市民功労勲章を受賞
2011年 ソウルにて死去

丁昌燮 (チョン・チャンソプ) は1970年代中頃より始まったと言われる李禹煥 (リ・ウーファン) 、朴栖甫 (パク・ソボ) など
日本でも馴染みのある作家を始めとする
韓国人作家達による美術動向「単色画」(モノクローム・ペインティング)の主要メンバーの一人であった。


ただ、この「単色画」の作家たちは組織的に活動をしていたわけではなく1980 年に美術批評家の李逸 (イ・イル) の言及によって、
主に中間色を用いた抽象的な絵画作品を描いた韓国作家たちの集まりを「単色画」の作家たちと呼ぶようになった。

昨今、彼を含める単色画作家たちの活動は
ソウル、東京、パリといった各地での展覧会が開催され、国際的に韓国現代美術を代表する動向として注目を集め、戦後の朝鮮美術の原動力とも呼べるその動きは先に挙げた
李禹煥(リ・ウーファン)、朴栖甫(パク・ソボ)などの来日作家たちによって日本作家たちへも多大な影響をもたらした。

*李禹煥(リ・ウーファン)はソウル大学校を3ヶ月で中退し横浜の叔父を妨ね1956年に日本に移住。
美術批評家としても活動し韓国の美術雑誌に日本の批評を寄稿していた。

モノ派作家らへの活動促進力としても大いに貢献した。

1940年代から60年代にかけての抽象画への流れは、ほぼ同時多発的に世界中で芽生え、互いに影響を与えながら活発化してきたが、韓国の単色画、欧州のアン フォルメル*1、アメリカの抽象表現主義、また日本の関西を拠点として始まった具体美術など、その推移様式はどれも大きく異なり独自の文化色を携えながら、それぞれに発展していった。
*1フランス人美術評 論家のミシェル・タピエ (Michel Tapié de Céleyran) (1909 - 1987)によって1952年頃より提唱された抽象表現理論。日中韓におけるアンフォルメル様式の展開と独自性関西大学論文より典拠

韓国の場合それは伝統的な韓国の東洋精神と
西洋の抽象絵画との統合とも呼べるものだった。

そこには日常や自分の内面の中から真理を見出す禅や儒教などの東洋思想も大きく作用しており、またチョンは

『制作においての究極の目標は、描写を必要とせず意図せぬところから湧き上がる世界を描くこと。長く真実を探求する者が神を垣間見えるようになるように、東洋の精神論 (Oriental spiritualism) と西洋の唯物論 (Occidental materialism) が私の孤独な旅路の果てで交差し調和する事を私は信じている。』

という自身の制作理念を示す言葉も残している。*2
*2 Chung Chang-Sup - Axel Vervoordtyより典拠。

チョンは70 年代初期まで西洋のアンフォルメルを探求し、油絵の抽象画を手がけていたが、油絵の粘り気のある特性は彼の性格において相性はあまり良くなかった。
当時、彼の油彩画は大量のテレビン油を混ぜ合わせ使用していた。*3

*3 Johyun Gallery : Chung Chang-Supより典拠。


f:id:shotarou2380:20180802115439j:plain
Sympathy 33 (1968) oil on canvas


その後、彼は西洋のテクニックから離れ、韓国独自のアイデンティティーを表現する方法を模索するようになる。

韓屋 (韓国の伝統的な家屋)にも使用されている韓紙 (ハンジ) を素材として着想を得た。


韓紙(ハンジ)は古くから書道、書物また建築の内装や窓などにも幅広く用いられ
東洋文化にとって昔から身近にある伝統的な素材であった。

1970年後半から韓紙(ハンジ)をキャンバスに成形して貼り付ける Return (歸) シリーズの作品を作るようになる。*「歸」とは"帰る"や"戻る"と言った意味を持つ中国語。回帰などの意味も持つ。

*韓紙とは
桑科の植物の楮(こうぞ)などの樹皮から精製され1枚の紙を作るまで非常に長い工程と忍耐力を要する。

 

f:id:shotarou2380:20180802134657j:plain
Return 77-A (1977) Ink and paper mounted on canvas

 

f:id:shotarou2380:20180802134519j:plain

Return One-G (1977) Ink and paper mounted on canvas


1980 年代になるとチャンは、既成の韓紙(ハンジ)を使用した作品では韓紙自体の意味合いが伝わりづらく背景として見なされてしまう事に表現の限界を感じ、自らスタジオで丹念に加工し質感を生かした韓紙を製造するようになり、それを用いた作品TAK(楮)シリーズを制作するようになる。

f:id:shotarou2380:20180802140049j:plain

Tak 202-83 (1983) Tak paper (mulberry fiber) on canvas


f:id:shotarou2380:20180802135544p:plain
Tak No.84019 (1984) Tak (best fiber) on canvas

 

f:id:shotarou2380:20180802135322j:plain
Tak 89029 (1989) Tak (best fiber) on canvas


また1990年に入るとチョンはTAKシリーズを更に昇華させるべく
作品に色彩を加え始め、今では彼の代表作と言われるMeditation(默考)シリーズの制作を始めた。
彼は自ら製紙した韓紙を天然色素(タバコの葉や炭など)で染めて作品に使用したり、まずキャンバスを着彩しその上から韓紙を貼るなど様々な表現の可能性を追求し、このシリーズの制作は彼が亡くなるまで続けられた。


f:id:shotarou2380:20180802145018j:plain
Meditation No.91033 (1991) Tak (best fiber) on canvas

 

f:id:shotarou2380:20180802145249j:plain
UNTITLED (1992) Tak (best fiber) on canvas

f:id:shotarou2380:20180802145948j:plain
Meditation No.93900 (1993) Tak (best fiber) on canvas

f:id:shotarou2380:20180802150054j:plain
Meditation No. 941116 (1994) Tak (best fiber) on canvas

f:id:shotarou2380:20180802150406j:plain
Meditation No.9606 (1996) Tak (best fiber) on canvas

 

f:id:shotarou2380:20180802150333j:plain
Meditation No.96401 (1996) Tak (best fiber) on canvas

 

f:id:shotarou2380:20180802150622j:plain
Meditation No. 98808 (1998) Tak (best fiber) on canvas

f:id:shotarou2380:20180802150716j:plain
Meditation No.23712 (2003) Tak (best fiber) on canvas

 

f:id:shotarou2380:20180802150816j:plain

Meditation No.25404 (2005) Tak (best fiber) on canvas


f:id:shotarou2380:20180802151807j:plain

Meditation No.25804 (2005) Tak (best fiber) on canvas

韓紙に着目した当時の記憶について
彼は1986年のインタビューにて以下のように答えている。

"I remember the first thing I saw in the morning was a ray of sunlight penetrating through the tak paper window. " 


「私は朝、日光が韓紙で出来た障子を通過して部屋を照らしているの目にした。それが最初のきっかけだったことを覚えている。」

 


参考URL

世界で評価を高める韓国の「単色画」。キュレーターが魅力を語る | CINRA.NET

日中韓におけるアンフォルメル様式の展開と独自性


Chung Chang-Sup - Axel Vervoordty

Johyun Gallery : Chung Chang-Sup

 

Chung Chang-Sup | Kukje Gallery | Artsy


日本での主な展示

1982年  韓国現代美術の位相展、京都市美術館、京都
1985年  個展、ギャラリー上田 、東京
1992年  韓国現代美術展、三重県立美術館 他、各所
1994年  韓国4人展、東京画廊、東京
1999年  個展、東京画廊、東京
2017年  単色のリズム 韓国の抽象、東京オペラシティアートギャラリー、東京

個人的な解釈

とまぁ、チョンの事をあらかた調べてみたが

ここからは集めた情報をもとに個人的な解釈をはじめてみよう。

まず世界で同時多発的に起きたと言われる抽象画への移行。

フランスの1940年代-1950年代のアンフォルメルについてはタピエが提唱したのが始まりだが

ピカソ(1881-1973)、ブラック(1882-1963)のキュビズム世代からモンドリアン(1872-1944)やガンディンスキー(1866-1944)らの冷たい抽象(と呼ばれる)世代にかけて既に抽象絵画へ移行する下地は整っていたように思える。またその下地に一応マティス(1869-1954)、パウル・クレー(1879-1940)らも加えておくとしよう。
とにかくこの19世紀後半から20世紀初期にかけてキュビズムドイツ表現主義ダダイズム、シュルレアリズムと数え出したらきりがないほど「もう写実とか印象とか古いし、もっと絵画の可能性を拡張しようぜ。内面性とか感情を描いてもいいじゃん。」という流れが出来ていて最終的に「もう描く対象とかいらなくない?」という流れにもなり抽象の世界ではマレーヴィチ(1879-1935)の有名な「黒の正方形」(1915)をはじめとする無対象を主題としたシュプレアリスムに繋がった。
この辺りを詳しく記述すると多面的すぎるしチョンの話が出来ないのでこの辺にしておくとしよう。

その当時の美術の流れや流行については各国の世界に耳を傾ける作家ももちろん時間差はありながらも知るすべは持っていたようにも思える。油絵の具が輸入されてたのと同じように情報も輸入されてたはずだからだ。

さて今日はチョンの話だった。

チョンはそう言った抽象画へ流れを知りつつ当時の西洋の油絵の具と言う最先端ツールを使い最新の表現である抽象を製作していた。
(流行最新ファッションを追い続けていたわけですね。)

ただやはりどうしても自分の東洋的な感性に合わない。薄く伸ばしてもこのネバネバした質感に違和感を感じる。自分はもっと韓国という自分の国を具現化したような表現をしたいんだ。という気持ちを強く感じて悩んでいた彼は韓紙という素材に出会った。

韓紙は彼が幼少の頃から慣れ親しんでいたものだったし韓国の生活にも深く根付き伝統的な意味合いもすごくあったので「これいけるんちゃうん?」となったわけだった。
(大いにざっくりさせてます)

そこから彼は韓紙を使った表現を追求していくこととなる。

最初に作ったReturnシリーズは今まで外側を向いて西洋化していた自分をルーツを追求する旅(内面を探る旅)へ立ち帰らせるという意味合いと決意で付けられたタイトルであった。

彼は生涯韓紙の表現の可能性の追求に従事した。
(もともと職人気質だったんでしょうね。)

韓国の作家によく見られる傾向として
自分の制作に対してそれを仕事として極めていく。という感じがすごくしますね。
修行というか黙々と打ち込むというか、同じ繰り返しの日常や作業の反復の中から
悟りや何かを見出そうとする。そう言うところもすごく東洋的な感性を感じます。

日本は島国でいろんな文化が海から入って来て文化形成されている国なので
韓国よりはそういった傾向が薄いのかもしれませんが、同じく職人気質を重んじる国ですよね。

そう考えると日本やアジア諸国というのは外へのアプローチより内へのアプローチを得意とする国風なのかもなぁ。
(技術とかはすごいけどPRとかは下手というのもそういうのが影響してるのでは)
なんてことを考えたりするのでした。


チョンは死去するまで韓国に留まり、母校にて芸術教育に約30年従事したりと
生涯その身を自身の表現の探求と国の美術発展のために尽くした人でした。