Bharti Kher - バールティ・ケール について
About Bharti Kher - バールティ・ケール について
1969年 イギリス、ロンドン生まれ
1991年 Newcastle Polytechnic (現:ノーサンブリア大学)で絵画を学び卒業
1992年 インド、ニューデリーに移住
1993年 現代作家Subodh Gupta - スボード・グプタ(1964年-) と結婚
現在 2人の子供を持ち現代作家としても活動。
彼女の両親は1967年にインドからイギリスに移民。
彼女は生まれてから20年以上イギリスで過ごした。
大学では絵画を学び卒業後1992年にインドを訪れる。
そのまま様々な場所を旅するつもりだったが
インドでグプタと恋に落ち、そのままインドで暮らすことを決意する。
インドで現代作家としての活動は最初の10~15年間は大変厳しいもので、本当に作家として生きていくことを決意するのには何年もの間、激しい拒絶反応と孤独感が付きまとい大きな勇気が必要だったと彼女は言う。
そんな苦境の中、トラックに積み込まれ弱り果てたメスの象の写真が載った地元新聞に着想を得て2006年に制作したグラスファイバー(ガラス繊維)状の実寸大の象の彫刻が彼女にとって現代作家としてのキャリアを築くきっかけになった。
The skin speaks a language
(2006) bindis on fiberglass (精子状のビンディーで覆われた原寸大の象)
またその彫刻は珍しい精子形状のBindi - ビンディーが全体に施されていた。
Bindi - ビンディーとはインドにおいて、本来は精神的世界と物質的世界をつなぐ第3の目としての象徴であり、また既婚女性が額に装着する飾りでもあるが、現在は単にファッションアイテムとして未婚既婚また男性女性関係なくインドでは一般的に着用されている。
2007年にNYの Jack Shainman Gallery で行われた彼女の初個展の際、この象の彫刻作品が美術評論家や美術関係者に大いに評価された。
その時の様子を彼女は「私は突然不思議な力を手に入れた感覚だった。」とインタビューで答えている。
その頃からビンディーを取り入れた独特な作風は、彼女の代表的な表現となっていった。
彼女は時代とともに役割が変化していったビンディーを作品に取り入れることによって社会変化の必要性について考える媒体として示唆している。
Untitled (2008) Bindis on painted board
彼女の作品はCharles Saatchi - チャールズ・サーチ 、François Pinault - フランソワ・ピノー、Frank Cohen - フランク・コーエン などアートシーンに対し絶大な影響力を持つ世界の著名なコレクター達にも所蔵されており、近年ではロンドンサザビーズにて彼女の作品が約1億6700万円で落札され、インドの作家の中で最高落札価格作家としてニュースになり、今日ではインドで最も成功した女性アーティストとして評価されている。
彼女は幼少の頃に学校で学んだボス、ブレイク、ゴヤなどの作品に見られる魔法の獣、神秘的なモンスター、寓話的な物語などから大いに影響を受けており、その奇怪さを作品に含ませながらインドの主体性や社会においての女性像の問題をテーマに制作している。
Hieronymus Bosch -ヒエロニムス・ボス ( ca.1450 - 1516 )
William Blake - ウィリアム・ブレイク (1757-1827)
Francisco José de Goya - フランシスコ・デ・ゴヤ (1746-1828)
特に彼女のHybrid Series - ハイブリッドシリーズと呼ばれる写真作品では、獣と女性が組み合わさったキメラのような生き物が育児や家事をしている様子や、ファッションで着飾った姿など、現代社会から暗黙的に要求された女性らしさを醸し出しており、奇怪的なユーモアを含みつつ彼女の皮肉的なコンセプトが巧みに表現されている。
彼女は以前のインタビューにてこのハイブリッドシリーズが今尚続く彫刻の起源となっていると語る。
彼女の作品は主に家庭空間から着想を得ており「家庭とは子供や家族や生活に起こるあらゆることの始まりであり、種であると私は考えています。私たちは新聞に書かれているような広い世界 (政治や経済) について話しますがそれらは全て家庭という小さな世界にも存在しているのです。そして家庭には暴力、ユーモア、社会的地位、経済的地位、出自、男性・女性らしさの定義、役割、全てがあります。家庭とは愛、欲望、成長、保護のための場所であり政治、社会的圧力、経済的地位を伴う場所でもあり、また関係性について学び、社会で生きていく術を築く場所でもあるのです。」と彼女の中の家庭というものの捉え方を明言している。
上左) The hunter and the prophet - from the series Hybrids (2004) digital c print
上右) Angel - from the series Hybrids (2004) digital c print
中左) Chocolate muffin- from the series Hybrids (2004) digital c print
中右) Family portrait - from the series Hybrids (2004) digital c print
下左) Feather duster - from the series Hybrids (2004) digital c print
このハイブリッドシリーズでも登場する犬の頭と掃除機が合体したものは実際に彫刻作品 Hungry Dogs Eat Dirty Pudding - 餓えた犬たちは汚れたプリンを食べる (2004)としても制作され、その様はスイスの女性作家のMeret Oppenheim - メレット・オッペンハイム (1913-1985) の作品を想起させる。
Hungry Dogs Eat Dirty Pudding (2004) Fibreglass, plastic, bindis
Meret Oppenheim "Object" 1936 fur-covered cup, saucer, and spoon
彼女の作品を語る上でインドに渦巻くカースト制度(階級制度)の存在は大きい。
ヒンドゥー教のカースト制度は1950年に廃止されたとはいえ何百年もの間インドに根強く浸透しており廃止されてから60年たった今でもその影響は深くインド文明に息づいている。カースト制度は家父長制度であり、それもあって女性差別にも深く関係しており女性は長年抑圧の対象とされてきた。
*詳しくはインドにおける女性をご覧ください。
また彼女は1990年代においてインドではまだまだアートシーンが確立されておらず
彼女自身苦労した背景を踏まえ、インドにアジア現代作家のためのプラットフォームを形成する決意をし、夫とその他の現代作家と協力し1997年に非営利団体のKHOJ国際芸術家協会を設立した。現在彼女はその組織の会長職に就いている。
その他作品紹介
An Absence Of Assignable Cause - 追求するべき原因の不在 (The Heart) (2007) bindis on fiberglass
Arione 2004 Fiberglass, leather, fabric, bindis, steel, aluminum
Arione's sister 2006 Mixed media
Sing to them that will listen - 聴く者たちへ鳴れ 2008
Rice grains on which English words are written by ink, metal bowl, marble stand
*シンギングボールの中の米粒に書き込まれているのはインドの新聞の結婚求人欄に記載されていた言葉。
シンギングボールの音色は古の時代から「波動」と「浄化」の力を持つとされ、背骨や体の痛みをとる、心と身体が安らぐなどの効果があり重用されてきた。
インドの結婚事情についてはこちら
The Messenger (2011) Fibreglass, wooden rake, sari, resin, roc
Six Women (2013 - 2015) Mixed media
インド東部の市街地コルカタの売春街ソナガチで働く高齢女性をモデルに制作された彫刻作品
A line through space and time (2011) wood, paint and bindis
日本での主な展示
2009年 「チャロー!インディア」インド美術の新時代、森美術館、東京
2010年 トランスフォーメーション展、東京都現代美術館、東京
個人的な解釈
さてバールティ・ケールの経歴や作品を一通り見てきたところで
個人的解釈また補足に入っていきます。
インド人として生まれイギリスで育ったケール。
彼女の作品を見る限りかなりインドにおける女性問題に対して積極的に言及する作品を作っているのが見て取れます。
ここからは少し推測も含みますが、それは多分彼女自身が大人になってからインドに来たことが大きく関係してると思います。
インドにおいてカースト制度での女性への扱いはもう根深すぎて常識もしくは暗黙の了解レベルと考えられます。確かにカースト制度は1950年に禁止され若干緩和されているのかも知れませんが1000年以上も歴史のあるカースト制度が、たかだか60年程度で払拭されるとは考えにくい。だから「えっ、女男平等ってなに?」って感じの人が未だ大多数なのが現状だと考えられます。
そこへイギリスで20年以上過ごし「カースト制度ってなに?」状態のケールがインドで生活するようになったら、そのカースト文化に対してのカルチャーショックとその制度に対する拒絶反応は凄まじいものだった事は容易に想像できます。
もちろん少しいき過ぎた推測かも知れませんが、そこに対して問題意識を持っていることは彼女の作品を見れば明白ではないでしょうか。
既述した彼女の代表作であるThe skin speaks a language, not its own 《その皮膚は己の言語ではない言葉を語る》(2006) は今にも倒れそうな弱り果てたメスの象の彫刻作品で、その肌全体には精子状のビンディーがびっしり装飾されています。
その彫刻は精子という男性記号あるいは男性象徴によって全体を施された(=支配された)、メスの象(=管理また抑圧対象である女性)とも読み取れ、役割を強要され抑圧されている女性像を見事に表現していると感じます。
また彼女の作品はそういった悲観的な側面だけでなく、時代によって役割が変化して来たビンディーを使用することで社会変化への積極的な促進と必要性を共に喚起しています。
僕がケールの作品で特に好きなのがHybrid Series - ハイブリッドシリーズによる一連の写真作品です。このシリーズは合成写真の作品なのですが見でわかるように獣と女性が合成されていてその姿はキメラ化してます。
そして彼女らは皆、家事や育児をしていたり、派手なファッションで着飾っていたりと
その姿はどれも社会的にフォーマット化された女性像に当てはめられています。
また背景がなく中央に据えられた構図は、まるで標本のような雰囲気を醸し出しており飼育空間に閉じ込められた野生動物のような印象も与えます。
またその反面でこの作品は女性のうちに宿る強さや秘めたる野生性を見事に表現しています。
彼女の作品を捉える上で女性問題だけをテーマとして取り上げることは間違いなく不十分ではありますがインドの文化背景などを考えながら彼女の作品を構成する要素として捉えることは、鑑賞する上で大変有意義だと考えられます。また彼女のマテリアルとしてしばしば登場するヒンディーは時代とともに役割が変化してきた変化の象徴的な素材であり、彼女のそういった女性問題やその他を含む「変化することへの前向きな願い」が込められているように感じられます。